【広報きたひろしま】令和5年4月号掲載
神楽絵画作家
山根 久明 (やまねひさあき)さん
▼Next baton▼
最近少なくなった日本建築の大工さん、沖田忠行さんに!
私
のオキニイリは、筏津から大谷を抜け、自宅の高野までつながる県道79号線の峠道です。
黄昏時や早朝、星の瞬く夜、新緑、黄金の稲穂が垂れるころ、紅葉の季節、雪化粧と、いつであってもすばらしい眺望があります。
私は、昔広島電鉄でバスを運転していたこともあり、全国の花の名所を見る機会に恵まれていました。「地元にも花の名所を」と思い、79号線に「彼岸花ロード」をつくりました。今では地域の人たちも呼応してくれ、みんなで彼岸花や水仙を植えたり、山つつじがよく見えるように周辺を整備しています。
もともと、絵と神楽が大好きで、神楽の絵を描くことは自然なことだったと思います。平田春潮先生と縁あって、日本画を描くようになりました。神楽は全体としての美しさはもちろん、所作に一瞬の美しさがあると思います。その美を切り取ることで、「美しき神楽が永遠に続く」感覚を感じていただきたいと思っています。
今ではRCCの神楽大会のポスターなどにも採用されています。私の絵が、神楽どころ北広島町に目を向けてもらえるきっかけになることを願ってやみません。
黄昏時や早朝、星の瞬く夜、新緑、黄金の稲穂が垂れるころ、紅葉の季節、雪化粧と、いつであってもすばらしい眺望があります。
私は、昔広島電鉄でバスを運転していたこともあり、全国の花の名所を見る機会に恵まれていました。「地元にも花の名所を」と思い、79号線に「彼岸花ロード」をつくりました。今では地域の人たちも呼応してくれ、みんなで彼岸花や水仙を植えたり、山つつじがよく見えるように周辺を整備しています。
もともと、絵と神楽が大好きで、神楽の絵を描くことは自然なことだったと思います。平田春潮先生と縁あって、日本画を描くようになりました。神楽は全体としての美しさはもちろん、所作に一瞬の美しさがあると思います。その美を切り取ることで、「美しき神楽が永遠に続く」感覚を感じていただきたいと思っています。
今ではRCCの神楽大会のポスターなどにも採用されています。私の絵が、神楽どころ北広島町に目を向けてもらえるきっかけになることを願ってやみません。
【広報きたひろしま】令和5年5月号掲載
私
のお気に入りは、豊平のシンボル「龍頭山」の中腹に位置する名瀑「駒ケ滝」です。山育ちの人間だからでしょうか、山に入ると元気が出ます。特に新緑と紅葉の季節がおすすめです。
駒ケ滝について、不思議な話があります。それは、滝から流れ落ちる水の流れ。訪れた人が「東」と言うと、滝に向かって右に流れ、「西」と言うと左に流れるというのです。言葉を理解する滝はなかなかないでしょう(笑)。
私は、中学校を卒業してすぐ建築の世界に入りました。県産木材や竹小舞(土壁)といった日本の伝統的な大工仕事を生業としています。同じ大工として孫が一緒に働いてくれているから、私もまだまだ現役でいられます。爺の欲目かもしれませんが、孫には才能とねばり強さがあります。いずれは会社を継ぐか、独立するか…。期待は膨らみます。
私の一家は神楽一家でもあります。自身は阿坂神楽団に所属していました。孫は琴庄神楽団、いとこや親戚も神楽団に入っています。神楽も建築の伝統技法も、先人たちの英知が詰まっています。よいものを次の世代に遺す、伝えることが、今の私の成すべきことだと思っています。
駒ケ滝について、不思議な話があります。それは、滝から流れ落ちる水の流れ。訪れた人が「東」と言うと、滝に向かって右に流れ、「西」と言うと左に流れるというのです。言葉を理解する滝はなかなかないでしょう(笑)。
私は、中学校を卒業してすぐ建築の世界に入りました。県産木材や竹小舞(土壁)といった日本の伝統的な大工仕事を生業としています。同じ大工として孫が一緒に働いてくれているから、私もまだまだ現役でいられます。爺の欲目かもしれませんが、孫には才能とねばり強さがあります。いずれは会社を継ぐか、独立するか…。期待は膨らみます。
私の一家は神楽一家でもあります。自身は阿坂神楽団に所属していました。孫は琴庄神楽団、いとこや親戚も神楽団に入っています。神楽も建築の伝統技法も、先人たちの英知が詰まっています。よいものを次の世代に遺す、伝えることが、今の私の成すべきことだと思っています。
【広報きたひろしま】令和5年6月号掲載
私
のオキニイリは、壬生城址(じょうし)公園とそこに架かる赤い橋です。子どものころ父親とよく行った思い出の場所。特に春と秋が好きですね。4月中旬に咲き誇るツツジは名物のひとつで、周辺の山々がピンク色に染まり、とても鮮やかです。毎年この場所で「壬生つづじ祭り」が開催されます(コロナ禍では祭典のみ実施)。駐車場や遊歩道が整備されているので、ハイキングや散歩にもおすすめで、赤い橋は写真映えもバッチリですよ。山頂からは北広島町の田園風景が一望でき、眺めも最高。こういった場所があることをもっと多くの人に知ってもらい、訪れてもらいたいです。
インテリア広浜の前社長の父「上川雅史(かみかわまさし)」が亡くなってから10年あまりー。私は、畳の広浜株式会社で日々奮闘しています。日本の文化「畳」をのこしていくという仕事。昔ながらの畳の良さはもちろん、新しい“和”の空間を提案しています。若い世代など多くの人に畳の魅力や良さを身近に感じてもらいたい、実際に味わってもらいたいですね。
父との思い出が詰まった公園に、今は子ども3人を連れて行きます。「世代を超えて長く愛される」畳もそんな存在であってほしいです。
【広報きたひろしま】令和5年7
月号掲載
ここに行くと子どものころの楽しかった記憶がよみがえります。私のお気に入りは、大朝の鳴滝(なるたき)です。祖父母とそうめん流しや温泉、神楽を楽しんだ思い出の場所。名勝「鳴滝」や名水「天恵水(てんけいすい)」があり、隠れたパワースポットとしても知られます。この付近は蒸し暑い真夏に行ってもひんやり涼しく、心地いいですよ。
私にとって鳴滝はワイン造りの勉強の場でもあります。ワイナリーの名前は「ドメーヌ鳴滝」。ここのオーナーが遠縁ということもあり、今から8年前、私が大朝に帰って来た際にブドウ栽培からワイン造りまでさまざまなことを学ばせてもらいました。あまり知られていないかもしれませんが、北広島町はワイン特区に指定されており、3つのワイナリーがあります。ドメーヌ鳴滝、ホッコーワイナリー、そして福光葡萄酒醸造所。それぞれ個性的で特徴のある美味しいワインを醸造しています。
また、北広島町はどぶろく特区でもあり、私はワイン以外にどぶろくも造っています。どぶろくメーカーは町内に3つ。それ以外に日本酒造もあるので、北広島町はいわゆる「地酒のまち」と言えるかもしれませんね!
【広報きたひろしま】令和5年8
月号掲載
「今スリランカ人の宿泊客が来とるんよ。何を食べさせたらいいかのう?」
「民宿かみおか」の女将さんからの電話だった。「カレーが好きだろうけど、どうせなら芸北の田舎料理を出せば喜びますよ」それがきっかけで僕は民宿かみおかとご縁ができた。遠方からの来客が多い僕は、片っ端からかみおかに宿泊させた。なにしろかみおかに連れて行けば百発百中で喜んでくれる。「あんなに心地がいい宿は他にない」「美味しい料理の後は美味しい酒をたらふく勧められて嬉しかった!」「広島旅行でどこが一番よかったって?そりゃ、あの民宿!」
作家の養老孟子(ようろうたけし)先生やスリランカ大使が北広島町を訪れたときも、僕は民宿かみおかを勧めた。養老先生は2度訪問され、テレビで「広島で宿泊した民宿で親切にされて非常に嬉しかった」と答えていた。スリランカ大使は「北広島町と、わが国の街とが姉妹都市提携を結べないか」とご満悦だった。ちなみに最初に来たスリランカ人の来客だが、今はかみおかのリピーターだ。
ということで、僕のお気に入りは芸北の「民宿かみおか」です!
自家栽培の新鮮なお米と野菜。
素材を生かしたおいしい料理。
自然に囲まれた、どこか懐かしい田舎の宿で
時間を忘れてゆっくりとした時間を過ごす。
現代人にとって贅沢とは何か。
かみおかで答えが見つかるかも
▷住所:北広島町奥中原251-4
【広報きたひろしま】令和5年9
月号掲載
(株)CHC(カントリーハウス)
代表取締役
田原 孝一(はたら こういち
)さん
▼Next baton▼
孫も大好きなケーキ屋さん、山本幸絵さんに!
私のお気に入りですかーー。特定の場所を選ぶとなると、頭を抱えてしまいます。なぜなら、関西から千代田に移り住んで24年あまり、この地での暮らしのなかで日々変わりゆく、目に映るもの全てが私にとって最高のお気に入りなのです。
初春3月、事務所の周りに可愛らしい土筆(つくし)が顔を出し、4月は志路原川(しじはらがわ)沿いに咲き誇る桜や別所(べっしょ)の芝桜に見惚れ、5月の田植えが始まると、米農家でもないのに「今年の出来はいかがなものか」と思いを巡らせる。6月、専教寺(せんきょうじ)の前を流れる冠川(かんむりがわ)に小さく美しい光を放ち、飛び交う蛍を見つけると夏が来る。朝起きて家の前に出ると、日々緑を増していく山々。
今年の夏も暑かったなあと思うころには、目に映る山々が少しずつ赤や黄色に染まっていく。晩秋のころには惚れ惚れするほど見事な彩りに仕上がります。秋も暮れ、肌寒くなる。「そろそろ初雪かーー。」年が明けると一面の銀世界。何もかも覆い隠す雪、時が止まったような静けさ。
都会と比べると多少の不便さはありますが、ここ千代田の四季折々の風景こそが、何にも勝る私の最高のお気に入りなのです。
【広報きたひろしま】令和5年10
月号掲載
私のオキニイリは豊平のシンボル「龍頭山(りゅうずやま)」の山頂からの眺望。空気の澄んだ日、双眼鏡を使えば実家のある呉市音戸の塩の山「三ツ子島」臨めます。なかなか呉にも帰れていないので、山頂から見つめるふるさとに心を癒され、励まされます。
気負わず登れる龍頭山。9合目の駐車場からは10分ほど、登山口からでも90分程度で登れます。コロナ禍で子どもたちが休校になったときには、都志見の自宅から家族で登りました。大きな声で歌い、体を動かして、山頂に到着したときの爽快感と広がるパノラマは別格です。
子育てが一段落した5年前からは、自宅の隣で「小さなケーキやForest」を営んでいます。木・金・土の3日間だけの営業ですが、果物や卵、牛乳など、なるべく地元の食材を使っておいしいお菓子をつくっています。お客さまが喜ぶ顔を間近に感じられるので、呉や広島のホテルでパティシエをしていたときとはまた違ったやりがいや喜びがあります。
結婚を機にやってきた豊平。人が温かく、空気が澄み、とってものどかなこのまちに、住んでよかったと思います。
【広報きたひろしま】令和5年11
月号掲載
今から35年前、町道横畑線の完成を記念し、地元の人が中心となって、道の両側に桜を植樹しました。当時13歳だったわたしは、面倒に思いながらも、がむしゃらに作業した記憶があります。
時が経ち、今では毎年春になると、道沿いに美しい桜がトンネルのように続きます。長く厳しい冬を超え、春を告げる鳥のさえずり、澄んだ青空と爽やかな風に舞う桜の花びらーー。植樹のときに大人たちが思い描いていたであろう、未来に残したかった景色が広がっています。
高校卒業後、芸北を離れた時期もありました。今は家業の横畑工務店を継ぎ、二代目として奮闘しています。冬は面倒なことも多いですが、子どもとスキーやかまくらを作りなど存分に楽しんでいます。芸北での暮らし、四季折々の自然、人とのつながり、当たり前の日常。今ある環境に感謝し、穏やかに暮らしています。
この道を通るたびに、植樹のときのこと、人生の節目で桜のトンネルをくぐってきたことを懐かしく思い出します。みんなに知ってもらいたいけど秘密にしたい桜のトンネルが私のオキニイリです。この桜を今も大切に手入れされている(株)美和建設さんにも感謝しています。
【広報きたひろしま】令和5年12
月号掲載
私のオキニイリは、枝宮八幡(えだのみやはちまん)神社から臨む大朝のまちなみです。自宅の裏がこの神社。かつては生い茂った木に邪魔をされ、誰にも知られなかった景色でしたが、手入れをして初めて出会うことができたのがこの景色です。
よく晴れた日、ここで大朝のまちを眺めていると、自分の「大朝愛」を改めて感じます。大朝の自慢は「地域の結束力」。その根底にはみんなの「大朝愛」が下地にあるのだと思います。土地の値段は安いし、浜田も広島市内も近い。車があれば便利だと思うので、ぜひみなさんに住んでほしいですね。
現在は、父の大工仕事を承継し、法人化した「佐々木工務店」を経営。既製品の大量生産で効率化された大手ハウスメーカーと価格で張り合っても仕方がないので、視点を変えた家づくりを提案しています。「くせがある」どこにもないオリジナルな家ーー。「ありゃあ佐々岡が建てた家で」と言ってもらえるよう、下請け仕事ではなく元請けとして「一緒に家をつくろうや」というスタンスで仕事をしています。今は、施主の思い入れのある家になるように、道具のリースなどをしてDIYの後押しをするのもおもしろいかなと思って計画をしています。
【広報きたひろしま】令和6年1
月号掲載
私のオキニイリは、広島市との境、明神峠(みょうじんとうげ)の海見山(かいけんざん)神社カントリークラブ。9つのショートホールから成る四季折々の自然が楽しめるゴルフ場です。ゆったりと回れる設計なので、はじめたばかりの人には特におすすめです。上級者のアプローチ練習にもいいコース。山を登るので、運動不足解消にもなります(笑)。
私は今、(有)ハナキ保険企画の3代目。NPO法人Landschaftの理事長でもあります。まちづくりセンターと時を同じくして発足した組織で、中長期視点でのまちづくりや、町外との連携を持続的に行っています。このまちのマイナスを勘定するのではなく、プラスになることをやっていこうというスタンスで活動しています。できない理由さがしいは簡単ですが、「今、なにもしないこと」が将来のこのまちを担う子どもたちにとって一番の罪になるのではと思っています。
かつて9か月間、バックパッカーとして東南アジアを旅したとき、「日本はなんて恵まれているんだ」と感じました。思いきってやりたいことに挑戦したこと、異国で見開きしたことが、このまちの素晴らしさに気付かせてくれ、今の自分の考えを形つくってくれていると思います。